東京地方裁判所 平成8年(ワ)20054号 判決 1999年12月15日
原告
赤坂裕嗣
右訴訟代理人弁護士
中村れい子
同
渡辺智子
被告
日本エマソン株式会社
右代表者代表取締役
三島大二
右訴訟代理人弁護士
福井富男
同
内藤潤
同
神田遵
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 原告が被告に対して雇用契約上の地位を有することを確認する。
二 被告は原告に対し、平成六年一〇月以降次の各金員を支払え。
1 毎月二〇日限り三六万二九〇〇円及びこれに対する各月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員
2 毎年一二月三一日限り八九万四七五〇円及びこれに対する各翌年一月一日以降支払済みまで年五分の割合による金員
3 毎年六月三〇日限り七一万五八〇〇円及びこれに対する各翌月一日以降支払済みまで年五分の割合による金員
第二事案の概要
本件は、被告に雇用されて被告の業務に従事していた原告が、被告から通告された解雇の効力を争い、被告に対し、雇用契約上の地位を有することの確認及び解雇以降の賃金の支払を求めたものである。
一 争いのない事実
1 被告は、空調装置・冷凍機器用制御部品、超音波応用洗浄器、超音波応用溶着機、バイブレーションウェルダー(振動溶着機)等の製造、販売及び輸出入を目的とする株式会社である。
2 原告は、昭和六三年五月一六日被告に雇用され、バイブレーションウェルダー等の製造、輸入、販売を主な業務とするブランソン事業本部に配置された。
3 被告は原告に対し、平成六年八月三一日、業務遂行能力の欠如及び勤務成績・態度の不良を理由として、就業規則一一条一項二号、三号及び五号に基づき同年九月三〇日付けで解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という)
4 被告の就業規則には、第三章の一一条一項に「従業員が次の各号に該当する場合は解雇する」、同項二号に「勤務成績が不良で就業に適さないと会社が認めたとき」、三号に「職務の遂行に誠意なく、警告及び改善のための猶予期間内において、向上の見込みなしと会社が認めたとき」、五号に「第一三章の制裁規定に該当するとき」との規定があり、第一三章の五八条に「社員が次の各号の一に該当するときは、制裁を行う」、同条一号に「素行不良、出勤又は勤務不良の改まらないとき、或いは道義紊乱の行為があったとき」、二号に「越権専断又は業務命令に対する不服行為があったとき」との規定がある。
5 被告は、毎月末日を給与の締切日、翌月二〇日を給与の支払日とするが、本件解雇当時の原告の給与は月額三六万二九〇〇円(内訳 基本給三五万七九〇〇円、住宅手当五〇〇〇円)であった。また、被告は、毎年六月及び一二月を賞与の支給日とするが、本件解雇当時の原告の六月分賞与は七一万五八〇〇円を、一二月分賞与は八九万四七五〇円を、それぞれ下らない。
二 争点
本件解雇の効力
三 被告の主張の骨子
1 本件解雇の就業規則該当性について
本件解雇は、以下に述べるとおりの、原告における業務遂行能力の欠如及び勤務成績・態度の不良の事実が、就業規則一一条一項二号、三号、及び同項五号で準用されている五八条一号、二号に該当することによるものである。
(一) 業務遂行能力の欠如について
(1) 被告は、原告を機械のシステムエンジニアとして採用した。
(2) 平成二年ころ、被告ブランソン事業本部内で米国製バイブレーションウェルダーであるM2100Rの国産化(M2100RJの開発)の方針が決定され、電気部分と機構部分の二つに分けて開発することとされたが、右国産化は、米国製の同機種を日本に適合させるためのモデフィケーション(若干の変更)であり、それほど難度の高いものではなかった。しかし、右国産化の作業のうち、他の従業員が担当した電気部分の設計は何らの問題もなく成功したのに、原告が担当した機構部分の設計・製作の失敗から、機械全体が振動してしまい、このことが原因で右国産化は失敗した。
その後、平成三年ころも、当時米国で量産機として開発されていた小型のバイブレーションウェルダーであるミニウェルダーの国産化の方針が決定されたが、右国産化は、当時被告が米国製ミニウェルダーを既に輸入し、実験室に設置していたことから、同機種に関するシステムエンジニアとしての基礎的知識があれば容易に実現できるものであった。しかし、右国産化は、主として、原告が設計した機構部分に問題があったため、失敗した。
(3) 以上のように、原告には、システムエンジニアとしての技術・能力が不足していることが明らかになったので、被告は、原告の技術を向上させるべく、上司による現場指導及び教育訓練を行ったが、原告には全く向上努力の意思がなく、システムエンジニアとしての能力は向上しなかった。
そのため、被告は、平成四年一〇月一日、原告について、システムエンジニアから、アプリケーションエンジニアへの担当業務の変更を行ったが、原告には、アプリケーションエンジニアとしての職務に必要な技術・能力も不足していることが明らかになった。
(二) 勤務成績・態度の不良について
(1) 原告の入社以来の勤務成績・態度は、次のとおり、一貫して甚だしく不良であった。
ア 出勤状況について
(ア) 被告が平成四年一二月フレックスタイム制を導入する以前、従業員には午前九時出社が義務付けられていたところ、原告は、その当時から、遅刻が極めて多かった。
(イ) フレックスタイム制の導入後も、午前九時から午後五時一五分までとする被告の営業時間には従前と変更がなかったため、被告は、組織として業務を適切に遂行する必要から、従業員に対し、午前九時までに出勤しない場合には出勤時刻を前もって会社に連絡するよう指示していた。しかし、原告は、顧客と接触することを要するアプリケーションエンジニアでありながら、午前九時に出勤しない場合に出勤時刻を前もって会社に連絡することをほとんどせず、昼近くに出勤することも多かったため、上司・同僚に多大の迷惑を被らせ、被告に業務上の損害を与えた。
イ 顧客との会議、実験等について
原告は、顧客との会議、実験等にも連絡なく遅刻し、例えば、神奈川県小田原市所在の三国工業に出張した際、営業の戸来某と約束していた小田原駅での待合せ時刻に遅れ、戸来が先に三国工業に行かざるを得ないということがあったが、原告は、そのとき、結局一時間以上も遅刻した。また、原告は、午後一時の約束の関東精機とのユーザー実験で、午後一時になっても連絡なしに出勤せず、やむを得ず原告の上司が実験を始めたこともあった。
ウ アプリケーションレポートについて
原告は、アプリケーションテストを実施した場合、その実験結果を報告するためのアプリケーションレポートを提出しなければならなかったのに、長年にわたってこれを怠っていた。
エ 月報について
原告は、毎月、月報を提出しなければならなかったのに、しばらくの間提出したりしなかったりの状態が続いた後、これを怠るようになった。
オ 整理整頓について
原告は、上司から、実験室の整理整頓をするよう頻繁に指示されていたのに、これをほとんど実行しなかった。
カ ジョイントデザインについて
原告は、ジョイントデザイン(振動溶着の接合部のデザイン)の提出に当たっては、その事前及び事後に上司のチェックを受けるように指示されていたが、その指示に従わなかった。
(2) 前記のとおり、原告の入社以来の勤務成績・態度が一貫してはなはだしく不良であったことから、田嶋公平営業部長(以下「田嶋部長」という)は、平成六年三月一〇日原告と面談し、原告に対して退職を勧告した。その後、被告は、原告に今一度、反省、改善の機会を与えるため、同年六月一五日までの三か月間の観察期間を置くことにし、別紙記載の誓約書(書証略。以下「本件誓約書」という)を準備し、同月一六日原告の署名を得たが、本件誓約書に記載された「日常勤務について」の五項目、「業務遂行について」の九項目の誓約事項は、それまでの日常的な原告の勤務成績の不良の事由を個々に列挙し、原告がその改善を誓約する内容のものであった。右観察期間中の原告の勤務成績・態度は、一部に改善努力が認められたものの、依然として不満足な状態であったことから、被告は、同年六月一五日付けで、右観察期間を同年九月一五日まで三か月延長することを原告に通知した。
(3) しかし、原告の勤務成績・態度は、本件誓約書の提出後も、次のとおり、甚だしく不良であった。
ア 出勤状況について
原告は、本件誓約書で午前九時出勤を誓約したのに、同年六月一五日以降の原告の出勤状況の実情は、六月が遅刻二回、七月が二一日の出勤日中午前九時の出勤は一一日で、他の一〇日は一日を除き全く連絡なしに遅刻するか又は午前九時四五分になって遅刻の連絡をするというものであった。また、八月は、後記のとおり、合計一〇日間の無断欠勤をした。
イ アプリケーションレポートについて
原告は、同年三月一七日からアプリケーションレポートを提出するようになったが、実験の実施後遅滞なく提出すべきであるのに、実際は、上司から催促されてからまとめて提出したり、実験を実施しても提出を怠ったものが相当数あった。
ウ 作業予定の打ち合わせについて
本件誓約書の提出後、田嶋部長は、毎朝原告と当日の作業予定の打ち合わせをするようになったが、原告は、その日の打ち合わせに従って仕事を消化することが全くできていなかった。
エ ペンディングリストについて
原告が田嶋部長に提出したペンディングリストは、どの作業が終わってどの作業が終わっていないのかが明らかでなく、新しい作業事項が記入されていなかったりすることが常態であったため、田嶋部長がたびたびペンディングリストをアップデートにするよう指示したが、原告はこれを無視した。
オ 週報について
原告は、本件誓約書で週報の提出を誓約したにもかかわらず、これを提出しなかった。
カ 整理整頓について
原告は、本件誓約書の提出後も、上司から、実験室の整理整頓をするよう指示されていたのに、これをほとんど実行しなかった。
キ 事務上の書類提出について
原告は、被告からの事務上の書類提出の指示についても、指示どおり期限内に提出したことはほとんどなかった。
ク ジョイントデザインについて
原告は、本件誓約書の提出後も、ジョイントデザインの提出の事前、事後に上司のチェックを受ける手続をせず、まともなジョイントデザインをほとんど作成しなかった。なお、原告は、(書証略)による被告名古屋営業所所属の営業担当者佐藤雅樹(以下「佐藤」という)からのジョイントデザインの検討依頼に対し、まず田嶋部長が(書証略)の回答をしたものの、その内容が不適切であったため、佐藤が再度原告に依頼した結果原告がしたのが(書証略)の回答である旨主張しているが、(書証略)は、本件訴訟に先立つ仮処分事件(横浜地方裁判所平成六年(ヨ)第一二五六号)の審理中、被告代理人らの指示で田嶋部長が作成したモデル回答であって、これを被告代理人らが右事件の疎明資料として提出したものであるから、右主張は全く事実に反している。
ケ 欠勤について
原告は、平成六年八月八日から一一日まで被告を無断欠勤した。
原告が被告の承認を得ずに同年八月八日から一一日まで無断で欠勤しようとしていることを知った被告の小市博巳総務部長(以下、「小市部長」という)が原告に年次有給休暇と欠勤との違いを説明し、年次有給休暇を申請するように促したにもかかわらず、原告はこれに一切応じようとはせず、結局、無断欠勤を強行した。さらに、右無断欠勤中に海外旅行をした上、その際けがをしたことを理由として、同月二二日出勤しただけで、同月三一日まで更に欠勤を続けた。
コ 反省、向上の態度について
原告には、自らの勤務成績・態度の不良を反省して向上しようという意思がなく、「会社が何と言おうと自分を変えてまで会社や上司に気に入ってもらおうという気は全然ない」と周囲にふれて歩き、さらに「自分は弁護士に知っている人がいるから何でも簡単に裁判に持ち込める」などと同僚に自慢し、社内において公然と会社の方針に反発・挑戦する態度を取った。
2 本件解雇の手続の適正について
(一) 前記のとおり、田嶋部長は、平成六年三月一〇日原告と面談し、原告に対して退職を勧告したのであるが、その後、原告は、自分の勤務態度の問題点を認め、田嶋部長から指摘された各事項について弁解する内容の書面(書証略)を提出したので、被告は、同月一四日三島大二事業本部長(以下「三島本部長」という)が原告と面談し、原告の弁明を聴いた。その上で、被告は、原告に今一度、反省、改善の機会を与えるため、三か月の観察期間を置くことにし、本件誓約書を準備して、同月一六日原告に指示・説明した上で原告の署名を得、これを提出させたが、原告が署名をするに当たり、被告が原告を強制するようなことは全くなかった。その後、被告は右観察期間を三か月延長したが、これに対して、原告からは何らの異議の申立てもなかった。
(二) しかし、右延長期間中も、原告の勤務成績・態度の不良は改善されることがなく、前記のとおり、同年八月八日から一一日まで被告を無断欠勤するということがあったので、被告は、同月三一日原告に対し、本件解雇をしたものである。
(三) このように、被告は、本件解雇前に、幾度となく原告に告知、聴聞及び改善の機会を与えているから、本件解雇は手続的にも適正なものである。
3 以上のとおり、本件解雇は、就業規則所定の解雇事由に基づく合理的なものであって、手続的にも適正なものであるから、いかなる観点から見ても解雇権の濫用には該当しない。
四 原告の主張の骨子
1 本件解雇の解雇理由の欠如について
本件解雇は、以下のとおり、原告の業務遂行能力や勤務成績・態度とは関係のない、ねつ造された事実に基づいて行われたものであり、解雇理由を欠き、無効である。
(一) 業務遂行能力の欠如について
(1) 原告は、入社時、バイブレーションウェルダーのアプリケーション・サービスを顧客に提供することを業務とするバイブレーションウェルダー部に配属され、田嶋部長(アプリケーション技術課長として、当時も原告の上司の地位にあった)の下で、当初からバイブレーションウェルダーのアプリケーション業務を仕事の中心とし、アプリケーション・テストに従事するほか、バイブレーションウェルダーの出張修理にもかなりの割合で従事していたものであり、システムエンジニアとして採用されたものではない。
(2) M2100RJ及びミニウェルダーの開発が中止になったのは、原告の能力に問題があったからではない。
M2100RJの開発は米国製のM2100Rの改良であったが、その際、電気部分は米国製のものをそのまま使用し、機構部分を改良することとなったのであるから、電気部分に問題が生じなかったのは当然である。そして、米国製のものの機構部分は、振動体が基礎部分から浮動して振動する柔構造を採っていたが、M2100RJでは振動体及び基礎部分が一体として振動する剛構造が採用されたもので、M2100RJは、もとのM2100Rとは基本的構造が異なり、その開発は被告がいうような若干の変更ではなかった。ところが、右開発計画は、被告が開発に必要な十分の予算、日程を組んでいなかったため、達成に至らなかった。また、ミニウェルダーは、平成三年当時、ドイツ、アメリカにおいて新製品として開発中のもので、既存の製品の国産化ではなかったものである。
被告の主張では、これら国産化の作業について原告一人に全権が与えられ、右作業が原告一人の責任で行われたかのようであるが、会社の業務として行われる以上そのようなことはなかった。これら開発機種の基本構造を決定したのは田嶋部長であり、原告はそれを図面(概観図)で表現したが、設計・製作は製造部が外注先を使い、外注先が設計、製作を担当したものである。
(3) 原告は、アプリケーションエンジニアとして十分な能力を有しており、その能力を発揮してアプリケーション業務を遂行し、田嶋部長のミスをフォローすることもしばしばであった。その他、ブランソン事業本部における治具製作上のミスやジョイントデザインのミスから実験に失敗したものにつき、原告がこれをフォローし、取引先に迷惑をかけないようにしたことが、幾例も存在する(その一例として、後記(二)(3)キの洗濯機部品の一件がある)。
(二) 勤務成績・態度の不良について
(1) 原告の入社以来の勤務成績・態度が一貫して甚だしく不良であったという被告の主張は、次のとおり根拠がないものである。
ア 出勤状況について
(ア) 原告は、フレックスタイム制の導入以前に被告から遅刻を注意されたことは全くなく、仮に、その当時、原告に遅刻があったとしても、それが何年も経過した後に解雇を正当化する事由になり得るものではない。
(イ) 被告が平成四年一二月から採用しているフレックスタイム制にはコアタイムがないのであるから、被告の労働時間制では、そもそも遅刻の観念はあり得ない。
原告の業務は、実験を中心としており、実験担当者は主として原告一人であったため、顧客の都合あるいは実験の進捗状況に勤務時間を合わせなければならなかったので、就業形態上、フレックスタイム制はなくてはならないものであった。そして、超過就労時間を出さないように求める被告の業務命令に従うためには、出勤時刻を調整するほかなかった。
原告は、出勤が遅くなるときは、可能な限り、電話連絡をしていたが、原告の出勤前でも、原告の席までくれば原告のその日の予定が分かるようになっていた。
イ 顧客との会議、実験等について
原告は、顧客との会議に遅れたことも、実験に遅れたこともない。
原告は、三国工業に出張した際、戸来と約束していた小田原駅での待合わせ時刻に遅れたことがあるが、戸来は顧客を同行して待っていたわけではなく、原告が遅れたので、戸来が先に三国工業に行き、そこで原告を待っていたものである。
また、関東精機とのユーザー実験については、既に前日から、原告の都合が悪いことがはっきりしていたので、同僚の吉沢某に代わってもらうよう頼んであった。そこで、当日、吉沢が実験室に入って作業を進めていたところ、田嶋部長が割って入ったというのが実情である。もっとも、これは、正確には実験ではなく、実験機を顧客にレンタルしただけであった。
ウ アプリケーションレポートについて
アプリケーションテスト実施の際のレポートの提出については、過去においては、テスト結果は、田嶋部長作成の専用のデータシートにすべて記入し、営業に対するレポートは、必要に応じて口頭又は文書で行っていた。そのような方法は、もともと、田嶋部長の指示によるものであった。
エ 月報について
原告は、かつて月報を提出していたが、平成三年ころ、田嶋部長は、原告に対し、月報は常に提出する必要はなく、重要な事項だけ伝達すればよい旨指示したので、その後は、指示どおり口頭で伝え、客先との重要な議事録等を提出するようにしていた。
オ 整理整頓について
原告には実験室内の整理整頓ができていないというようなことはなかった。
カ ジョイントデザインについて
営業担当から依頼されるジョイントデザインは、田嶋部長の指示で、同部長がすべて行うことになっていたので、原告がデザインを提出前に点検を受けることは、建前上あり得ないことになっていたが、実際には、原告に対する依頼がしばしば行われた。これは、田嶋部長のジョイントデザインのミスが余りにも多いので、その確認の依頼があったことによるものである。したがって、この依頼は内密な依頼で、田嶋部長には知らせるべきでないことになるが、おそらく田嶋部長も、取引先から渡された、原告が訂正した図面を目にするなどして、そのことを知ったものと考えられる。
(2) 原告が被告によって本件誓約書に署名することを余儀なくされた経過は、後記2のとおりである。
(3) 本件誓約書の提出後の原告の勤務成績・態度が甚だしく不良であった旨の被告の主張もまた、次のとおり根拠がないものである。
ア 出勤状況について
観察期間については、原告も原告の上司である田嶋部長も、事実確認のための期間として認識していたのであるから、事実が確認されていない段階である観察期間中に原告に不利益な取り扱いをすることはできないはずである。
また、仮に、被告が、原告に対してのみ他の従業員と異なる労働時間制をとるよう命令することができるとしても、その場合には、就業時間についてどのように調整すればいいのか、午前九時出勤が義務付けられるとすれば午後五時一五分になって実験が終了しないというような場合にはどうすればいいのか、が明確に定められていることが絶対的に必要なことである。しかし、被告が原告に対し午前九時出勤を命じたときにはこのような定めは一切存在しないのであるから(午前九時出勤を義務付けるには絶対的に必要な就業時間の調整について被告は何らの対応もしていない)、原告は、たとい観察期間中でにおいても、午前九時に出勤する義務を負うものではない。
また、原告は、出勤が遅くなるときは、可能な限り、電話連絡をしていたこと、原告の出勤前でも、原告の席までくれば原告のその日の予定が分かるようになっていたことは、本件誓約書の提出前の場合と同じである。
イ アプリケーションレポートについて
従前、田嶋部長は、営業に対するレポートは必要に応じて口頭又は文書ですればよいとの指示をしていたのであるから、本件誓約書でレポートの提出を要求するのは合理的な理由があるとも思えず、原告には単なる嫌がらせに感じられたが、原告は右提出要求には従ったものである。
ウ 作業予定の打ち合わせ及びペンディングリストについて
田嶋部長は、コピーの作成を要求したり、ペンディングリストの作成を要求するなど、業務の優先順位を無視した命令をしたり、以前の命令と矛盾する命令をしたり、実行することに無理のある命令をしたりして、原告の業務を混乱させていたものである。
エ 週報について
原告は週報の提出を求められて以降は、これを提出してきたし、このほか、日報及び月報も提出してきたのであるが、そもそも、日報、週報及び月報というような複数の報告書を重複して提出させることには、合理性がない。
オ 整理整頓について
本件誓約書の提出後においても、原告には実験室内の整理整頓ができていないというようなことはなかったものである。
カ ジョイントデザインについて
本件誓約書後のジョイントデザインの提出に関する実情は、従前と変わりがなく、原告は、田嶋部長のミスをフォローすることもしばしばであったもので、その一例が洗濯機部品の件(書証略)に現れている。すなわち、まず、名古屋営業所所属の営業担当者佐藤が田嶋部長に対してジョイントデザインに関する検討依頼をしたが(書証略)、これについて田嶋部長がした回答(書証略)では、このとおりに実行した場合、金型を抜くことができず、製品を製造することが不可能であった。そこで、佐藤が右回答を見て疑問を持ち、原告に対して検討依頼をしたので、原告がこの点を指摘した回答(書証略)をしたものである。
キ 欠勤について
被告は、原告が平成六年八月八日から同月一一日まで無断欠勤したと主張するが、「無断」で欠勤したことはない。原告は、同年四月に年次有給休暇を請求した際、会社が繁忙であるとか納期が迫っているなどという事情もないのに、田嶋部長は理由も示さず「有休は認めない。休むなら欠勤で休め」と年次有給休暇の取得を妨害し、同年八月八日から一一日までの年次有給休暇の取得についても田嶋部長はこれを拒否したので、原告は、右期間についてやむなく欠勤届を提出したのである。したがって、被告は原告の欠勤を事前に承知していたものであり、「無断」欠勤には当たらない。
ク 反省、向上の態度について
被告の主張は、常識の範囲を逸脱したひぼう中傷というほかなく、かえって、このような主張をすること自体によって、被告の主張の信用性を低下させている。
2 本件解雇の手続の違法性について
(一) 原告は、平成六年三月一〇日、田嶋部長から退職勧告を受け、これを断ったが、翌一一日には、同部長から、被告ブランソン事業本部の製造部に所属する白田幸雄(以下「白田」という)に対して直ちに業務を引き継ぐよう命じられたので、やむなく一部の業務を同人に引き継いだ。
(二) その後、原告は、同月一六日、本件誓約書への署名に応じたが、それは、原告としても来客を待たせることができなかったという状況の下で、小市部長が強硬な態度で署名を要求したこと、署名に応じなければ、翌日から田嶋部長による執拗、陰湿な嫌がらせが行われ、それにより結局退職に追い込まれることが目に見えていたこと、当時、原告は、三島本部長には信頼を寄せていて、三か月の期間中に同本部長から事実を理解してもらえるのではないかとの希望もあったことによるものである。
(三) ところが、原告は、事実関係を明らかにする機会を与えられず、同月一五日、一方的に同年九月一五日まで観察期間を延長する旨告知された上、何らの反論、弁解の機会も与えられないまま、同年八月三一日、被告から本件解雇を受けた。
(四) このように、原告は、事実関係を明らかにする機会も与えられず、何らの反論、弁解の機会も与えられないまま、被告から解雇を受けたものであるから、本件解雇は手続的にも違法なものである。
3 以上のとおり、本件解雇は解雇権の濫用に当たるものとして、無効であるから、原告は、被告に対し、雇用契約上の地位にあることの確認を求めるとともに、平成六年一〇月以降未払の月給及び賞与の支払を求める。
第三当裁判所の判断
一 本件解雇に係る解雇理由について
1 業務遂行能力の欠如について
証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一)(1) 原告は、昭和五四年三月関東学院大学工学部、昭和五五年三月日本工学院専門学校を各卒業し、同年四月から昭和六三年四月までの間に関東電子精機株式会社ほか数社に勤務した後、同年五月一六日中途採用で被告に雇用された。原告は、雇用と同時にブランソン事業本部内のバイブレーションウェルダー営業部に配置されたが、原告の担当業務は、バイブレーションウェルダーに関する、<1> システム設計業務、すなわち機械装置の設計を内容とする、システムエンジニアとしての業務、及び、<2> アプリケーション業務、すなわち顧客の用途に応じた機械装置の適用の実験、顧客に対する溶着部の設計(ジョイントデザイン)の提示等を内容とする、アプリケーションエンジニアとしての業務、以上の二つの業務からなっていた。
被告が原告を雇用したのは、当時、バイブレーションウェルダー営業部内でシステム設計業務を担当していた一名の従業員の作業量が増大し、システムエンジニアを二名に増員する必要が生じていたためで、他社で約七年間機械設計業務に従事した経験があるという採用面接時の原告の説明から、原告にはシステムエンジニアとして十分な技術・能力を備えていると評価されたことによるものであった。このように、原告は、既にシステムエンジニアとしての技術・能力を備えた技術者と認められて被告に雇用されたもので、このため、原告に対する処遇としては、初任給時から、右技術・能力に見合うものと考えられた相当高額な給与が支給された。
(2) バイブレーションウェルダー営業部における原告の上司には田嶋部長(当初はアプリケーションエンジニア技術課長の地位にあり、その後、バイブレーションウェルダー営業部長の地位に就いた)がいたが、同部長は、本件解雇時まで、職制上一貫して原告の上司としての地位にあった。
田嶋部長は、昭和四二年三月名古屋電気通信工学院を卒業し、短期間三菱プレシジョン株式会社に勤務した後、昭和四五年八月中途採用でブランソン・ウルトラソニックス・コーポレーション日本支社に雇用され、同支社が被告の一事業部門になったことに伴い、引き続き被告に勤務するようになった。田嶋部長は、米国で開発されたバイブレーションウェルダーを初めて日本に導入し、バイブレーションウェルダーに関する国内マーケットをゼロから開拓した振動溶着の技術の専門家で(バイブレーションウェルダーの国内販売高に占める被告のシェアは、現在、一〇〇パーセントである)、現在被告が採用しているジョイントデザインはすべて同部長が新しく基礎デザインを開発し、それが現在世界各国で使用されているものである。
(二)(1) バイブレーションウェルダー営業部では、平成二年ころに、米国製バイブレーションウェルダーであるM2100Rの国産化(M2100RJの開発)が、次いで、平成三年ころに、同様に米国製小型バイブレーションウェルダーであるミニウェルダーの国産化が、それぞれ試みられ、いずれの機種についても、原告が機構部分の開発を担当することとされたが、原告がこのような任務を与えられたのは、前歴での機械設計の経験を買われたことによるものであった。
(2) 以上の国産化作業のうち、M2100Rの国産化作業については、国産化の目的は、フック式を採用していた米国製の機構部分を、より溶着の自由度の高い直圧型に変更することであったが、この直圧型への変更は、当時ドイツで開発され日本でも販売を実施していたM2800が既に採用していた直圧型機構をM2100Rに置き換えるだけで進めることができる、一種のモデフィケーションに属する比較的容易な作業であった。右国産化作業は、原告の設計及び指揮に基づき、外注先に機械製作を行わせるという手順で実施されたが、M2800の構造及び振動系に対する理解が十分でない原告の設計に問題があったため、装置全体が振動してしまい、国産化作業は失敗に終わった。
また、ミニウェルダーの国産化作業の目的は、従来テーブルが可動式でヘッドが固定式であったものについてヘッドを可動式に変更することであったが、この可動式への変更は、当時、被告が既に米国製ミニウェルダーを輸入して実験室に設置していたのであるから、同製品に対するシステムエンジニアとしての基礎的知識を有していれば容易に進めることができる作業であった。右国産化作業も、M2100Rの国産化の場合と同様、原告の設計及び指揮に基づき、外注先に機械製作を行わせるという手順で実施されたが、原告の設計に問題があったため、失敗に終わった。
(3) 以上の二度にわたる米国製バイブレーションウェルダーの国産化作業の失敗の結果、システムエンジニアとしての原告の技術・能力が不足していることが被告に判明したため、田嶋部長ら被告関係者は、システムエンジニアとしての原告の技術的水準を向上させるべく、現場指導、教育訓練等を行ったが、原告の意欲が乏しかったため、その成果は上がらなかった。
(三)(1) 平成四年一〇月一日ブランソン事業本部の組織変更が行われ、バイブレーションウェルダー営業部及びマーケットサポート部が廃止され、右各部の業務が営業部(田嶋部長が営業部長の地位に就いた)に統合されるとともに営業部内にアプリケーションセンターが設置され、原告は同センターに所属するバイブレーションウェルダー/テキスタイル担当とされたが、バイブレーションウェルダー関係で原告が担当を命じられたのは、アプリケーション業務のみであった。
これは、前記の次第で、システムエンジニアとしての原告の技術・能力が十分でないことが被告に判明したため、顧客の要求を受けた営業社員からの要請に基づいて溶着実験を実施し、その結果を顧客に提示、指導し、改善提案を行うこと等を主な内容とするアプリケーション業務だけならば、田嶋部長の直接の管理監督の下で、自己の技術レベルでも仕事を行える上、併せて技術の向上をも図ることができるということを、被告において考慮したこと、及び、田嶋部長の身辺が従来にも増して多忙となったため、アプリケーション業務のうちそれまで同部長が処理していたものを原告に処理させることとしたこと(このうち、ジョイントデザインの提出については、事前、事後に同部長のチェックを受けさせることとしたが、この点は、後記認定のとおり、ほとんど励行されなかった)によるものであった。
(2) しかし、原告は、営業担当者からアプリケーションの検討依頼(ジョイントデザインの提出を含む)を受けても不適切な回答をしたり、原告の実験結果によるジョイントデザインに基づく製品が不良となった場合にも更に適切な改善提案を行わなかったりするなどのことが繰り返されたことから、アプリケーションエンジニアとしての原告の技術・能力も不足していることが被告に判明した。このため、田嶋部長ら被告の関係者は、今度は、アプリケーションエンジニアとしての原告の技術的水準を向上させるべく、現場指導、教育訓練等を続けたが、原告の意欲が乏しかったため、その成果は上がらなかった。
原告が営業担当者からアプリケーションの検討依頼を受けて不適切な回答をした一例としては、被告名古屋営業所所属の営業担当者佐藤が原告にあてて送付した平成六年七月五日付けアプリケーション検討依頼(書証略)に対して原告が送付した同月七日付け回答(書証略)が挙げられるが、これは、佐藤による五項目の検討依頼のうち一項目(治具の見積もりを問い合わせているもので、治具の設計製造の担当者が回答すべきものである)の点を除く四項目について原告が回答しなければならなかったのに、右四項目について全く回答していないばかりか、その回答内容はジョイントデザイン各部の寸法さえも入っていない不完全な内容のものであった(この点に関して、原告は、(書証略)による佐藤からのジョイントデザインの検討依頼に対し、まず田嶋部長が(書証略)の回答をしたものの、その内容が不適切であったため、佐藤が再度原告に依頼した結果原告がしたのが甲第一〇号証の2の回答である旨主張しているが、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、(書証略)は、本件訴訟に先立つ仮処分事件(横浜地方裁判所平成六年(ヨ)第一二五六号)の審理中、被告代理人らが田嶋部長に指示してモデル回答を作成させ、これを被告代理人らが右事件の疎明資料として提出したものであることが認められるから、右主張は採用することができない)。
以上によれば、原告は、被告のバイブレーションウェルダーにかかわる業務に従事する上で、システムエンジニアとしても、またアプリケーションエンジニアとしても、必要とされる業務遂行能力が不足していたものということができる。
原告は、アプリケーションエンジニアとして十分な能力を有し、その能力を発揮してアプリケーション業務を遂行し、田嶋部長のミスをフォローすることもしばしばであった旨、及びブランソン事業本部における治具製作上のミスやジョイントデザインのミスから実験に失敗したものにつき、原告がこれをフォローし、取引先に迷惑をかけないようにしたことが幾例も存在する旨主張するが、(証拠略)に照らして採用し難く、他に右主張を認めるに足りる的確な証拠はない。
原告は、原告のインダストリアルデザインの技能を証するものとして(書証略)を提出するところ、右各証拠と(人証略)とを合わせると、原告は、インダストリアルデザインについて相当程度の技能を有していることが認められるが、同証言及び弁論の全趣旨によれば、インダストリアルデザインの技能は、被告のバイブレーションウェルダーにかかわる業務に従事する上でのアプリケーションエンジニアとしての技術・能力とは直接関わりのないものであることが認められる。
2 勤務成績・態度の不良について
(一) 証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、原告の入社以来の勤務成績・態度について、次の事実が認められる。
(1) 出勤状況について
被告は、平成四年一二月コアタイムなしのフレックスタイム制を導入し、出退勤時間を従業員の自主管理にゆだねたが、その後も、午前九時から午後五時一五分までとする被告の営業時間には従前と変更がなかった。このため、被告は、特に顧客との関係で、組織として業務を適切に遂行する必要から、営業が開始する午前九時までに出勤しない場合には出勤時刻を前もって会社に連絡するよう、全従業員に対して指示していた(右指示は、フレックスタイム制の導入に伴って被告が従業員に対して命じた業務命令に当たるものと解される)。しかし、原告は、営業担当者を介し又は直接に顧客と接触することが多いアプリケーション業務に従事していたのに、午前九時までに出勤しない場合に出勤時刻を前もって会社に連絡することをほとんどせず、しかも、午前九時までに出勤しないことが常態化していて、昼近くになってようやく出勤することも多いという出勤態度を続けていた。
一方、午前九時を過ぎると、顧客や営業担当者から、原告あてに、アプリケーション業務に関する種々の問い合わせ、依頼等の電話がかかってくることが少なくなく、このため、原告の出勤予定時刻を知ることができない上司や同僚が先方に対して適切な対応をすることができずに終わり(原告は、原告の席までくれば原告のその日の予定が分かるようになっていた旨主張するが、右主張に沿う原告本人の供述は採用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない)、問い合わせ等の目的を達し得ない顧客等にも多大の迷惑を及ぼすということがしばしば起こった。ところが、上司や同僚が、このような不都合な結果を避けるよう原告に何度となく注意しても、原告はこれを聞き入れようとせず、依然として同様の出勤態度を繰り返していた(なお、平成四年一二月の前記フレックスタイム制の導入以前の時期については、原告の出勤状況を認めるに足りる証拠がない)。
(2) 顧客との会議、実験等について
原告には、顧客との会議、ユーザー実験等に連絡なく遅刻するという不都合が、一再ならず存在した。
例えば、原告は、アプリケーション業務に関する会議のため、営業担当者の戸来と共に神奈川県小田原市所在の三国工業に出張した際、戸来との間であらかじめ約束していた小田原駅での待合せ時刻に連絡なしに遅れ、仕方なく戸来が先に三国工業に赴き、そこで原告の到着を待っていたが、このとき、原告は、三国工業との会議予定時刻に一時間以上も遅刻してしまった。また、原告は、午後一時開始の約束で、関東精機立ち会いのユーザー実験を実施することとしていたのに、当日の午後一時になっても連絡なしに出勤せず、やむを得ず田嶋部長が原告の代わりに実験を始めるということがあった。さらに、大阪所在の天昇電気での機械のトラブルの件では、被告が連絡を受けた当日の夕方、田嶋部長が取り急ぎ大阪に赴いて顧客と一緒に機械の修理等に取りかかり、原告にも飛行機で現場に来るように連絡したところ、原告は当日午後八時か九時ころには空路大阪に到着したものの、田嶋部長に連絡を入れることなく、翌日午前一〇時過ぎになってようやく現場に姿を見せるということがあった。この間、田嶋部長は、客先の従業員と共に午前四時ころまで徹夜の修理作業に従事し、いったん客先の寮に宿泊させてもらった後、午前八時ころから作業を再開して、ちょうど原告が到着したころ、作業を終えることができたというものであった。
このほか、千代田製作所のフィラータンクに関するアプリケーション上の問い合わせが営業担当者から原告あてに行われたものにつき、原告は、それが比較的短期日で回答できる容易な内容のものであったにもかかわらず、一八日間もの間にわたってこれを放置しておき、たまたま原告の机上に右問い合わせの書面があるのを発見した田嶋部長が、急いで回答したということもあった。
(3) アプリケーションレポートについて
アプリケーションレポートは、営業担当者を経由して顧客から依頼されて実施したアプリケーションテスト(振動溶着実験)の内容をこれに記載して顧客に報告し、顧客はこの記載内容を検討した結果、場合によっては被告から機械を購入することにもつながるという、被告のビジネスの遂行上極めて重要な文書であるが、これは、一レポートにつき四枚綴りになっていて、営業担当者及び顧客に各一部送付するとともに、被告のテクニカルセンター及びアプリケーションセンターに各一部保管するものとされ、以上の送付・保管の措置をとる前提として、実験終了後遅滞なくこれを作成して上司に提出すべきものとされている。
ところが、原告は、長年にわたって、アプリケーションテストを実施しても、ほとんどの場合アプリケーションレポートを上司に提出しないばかりか、営業担当者や顧客への送付の措置をとることも、被告のテクニカルセンターやアプリケーションセンターでの保管の措置をとることもせず、ただ、専用のデータシートに実験結果を記入したものを、自己の個人用ファイルに綴り込んでいたにとどまった(原告は、以上のような取扱いをしたことにつき、それがあたかも田嶋部長の指示に基づくものであるかのように主張するが、右主張に沿う原告本人の供述は、(証拠略)に照らして採用することができず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない)。
(4) 月報について
原告は、毎月のアプリケーション業務の進行状況を上司に報告するための月報を提出しなければならなかったのに、しばらくの間提出したりしなかったりの状態が続いたので、田嶋部長が、原告に対し、実験予定表からピックアップした項目を羅列しただけの月報では提出しても意味がない旨の注意を与えたところ、それ以来、原告は、月報の提出自体を止めてしまい、その後、同部長が、クリーニング部門のアプリケーションエンジニアの女性従業員の月報が非常にきれいだから勉強のためにそのコピーを渡そうかと二回ほど呼びかけても、原告は、その都度「要りません」と言って、これを断るという意欲のない態度をとり続けた。
(5) 整理整頓について
原告は、上司から、実験室の整理整頓をするよう繰り返して指示されていたのに、これをほとんど実行せず、そのため、実験室内は常に乱雑な状態のまま推移していた。例えば、田嶋部長が工具入れを掃除しないと汚い旨の注意を与えたところ、原告は、整理せずに乱雑になったままの状態のところへ、相応の大きさのダンボール紙を切ったものを載せて覆うだけという極めて場当たり的な処置を採るということがあった。
(6) ジョイントデザインについて
原告は、顧客の要求を受けて営業担当者から依頼されるジョイントデザインの提出に当たっては、事前及び事後に田嶋部長のチェックを受けるように指示されていたのに、その指示に従わず、自己の一存で処理を進めていた。このため、ジョイントデザインについても、しばしば、原告から不適切な回答がされたり、原告の実験結果によるジョイントデザインに基づく製品が不良となった場合に、更に適切な改善提案が行われなかったりすることが繰り返された(前記1(三)(2)参照)。
(二) 証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、本件誓約書の作成経過等について、次の事実が認められる。
(1) 原告の入社以来の勤務内容の全般にわたって問題があると判断した田嶋部長は、平成六年三月一〇日原告と面談し、原告に対して、このまま被告にとどまっていては、被告にとっても原告にとってもお互いに不幸であるから、退職してインダストリアルデザインの仕事をしてはどうかと言って退職を勧告した。
(2) これに対して、原告は、翌一二日、田嶋部長の退職勧告への対応について相談する目的で三島本部長に電話をし、その際に受けた、田嶋部長から問題とされていることの説明を求める同本部長の指示によって、同日付けで「田嶋部長からの退職勧告について」と題する書面(書証略)を作成し、同月一四日同本部長に提出した。右書面は、田嶋部長が原告の問題として指摘した、<1> 「遅刻の件」(原告は、入社以来、午前九時以降の出勤が著しく多いこと)、<2> 「会社に対する電話連絡の件」(午前九時以降の出勤の場合、被告に電話連絡をしないこと)、<3> 「月報未提出の件」(原告は、久しく月報を提出しなくなっていること)、<4> 「信用問題、仕事の速度について」(営業からのアプリケーション上の問い合わせなどについての対応が遅いなど、対外的な信用にもかかわる問題があること)の四点について弁解を述べるとともに、併せて、「これらすべてを踏まえた上でも、私が素行の悪い方に属していることは承知している」、「いかなる場合でも、自己の行為には責任を持たねばならないので、本部長のどのような指示にも従う」旨、これまでの勤務態度についての反省及び三島本部長への恭順の気持ちを示す内容のものであった。
(3) その後、被告は、田嶋部長及び小市部長の隣席の下で、三島本部長が、前記(2)の<1>ないし<4>を含む原告の勤務態度等について、直接、原告から弁解を聞いた上で、原告に対して、今一度、反省、改善の機会を与えるため、同年六月一五日までの三か月間の観察期間を置くことにし、同月一六日本件誓約書に原告の署名を得た。本件誓約書は、原告がこれまでの勤務態度等が社員として不十分であったことを深く反省するとともに、「日常勤務について」の五項目、「業務遂行について」の九項目について、改善努力することを固く誓約し、前同日まで最長三か月間の猶予を求めることを基本的内容とするものであった。
(4) さらに、被告は、原告の勤務成績・態度の一部に改善努力が認められたものの、依然として不満足な状態であったとの判断に基づき、同年六月一五日付けで、右観察期間を同年九月一五日まで三か月延長することを原告に通知した。
なお、原告は、種々の事情で本件誓約書への署名を余儀なくされた旨、るる主張するが、それが当該署名を原告の真意に基づかないものとする趣旨に出たものでないことは、その主張自体から明らかであるし、関係証拠上も、右署名が原告の真意に基づかない瑕疵ある行為に当たることを認めるに足りるものは見当たらない。また、前記観察期間の三か月間の延長について考えると、右観察期間を設定した趣旨が、原告に対して、今一度、反省、改善の機会を与えるということにあったことからすれば、そのような趣旨で設定された期間を更に三か月間延長することとしても、右措置をもって、直ちに原告に不利益なものに当たるということもできない。ただ、本件誓約書によって新たに原告に行為義務が課されたものと解される場合には、右観察期間の延長は原告に不利益なものとしてその適否が問題になる余地があるが、本件誓約書は、その作成経緯から見て、原則として、原告が従来から負っていた労働契約上の義務(業務命令によるものを含む)を前提として、これを励行することを主眼とするものと認めることができ、新たな義務を付け加えることを意図したように見える項目であっても、労働契約上の義務とは相容れないもの(例えば、本件誓約書の「日常勤務について」の<1>の全部や<2>の後半部分などが、これに当たる)については、単なる努力目標を記載したもので、これに違反する場合でも、そのことによって不利益な処遇を受けるべきものではないと見ることができる。
(三) 証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、本件誓約書の提出後について、次の事実が認められる。
(1) 出勤状況について
原告は、平成六年七月の要出勤日二一日中、午前九時に出勤した日が一一日、前日にメモを残して午前一〇時三〇分に出勤した日が一日であったが、他の九日は、全く連絡なしに午前九時を過ぎてから出勤したり(午前九時〇五分出勤一日、同九時一〇分出勤一日、同九時一五分出勤一日、同九時三〇分出勤一日、同九時四五分出勤一日、同一〇時出勤一日、同一〇時一五分出勤一日)又は午前九時四五分になってからようやく連絡をして出勤したり(午前一一時出勤一日、同一一時一五分出勤一日)、するものであった。なお、本件誓約書においては、毎日午前九時には必ず出勤し、いかなる理由があろうとも遅刻しない旨の誓約項目が存在するが(「日常勤務について」の<1>)、被告がコアタイムないしのフレックスタイム制を採用している以上、このような誓約項目を記載しても原告に無遅刻を義務付けることはできないものと考えられるから、午前九時までに出勤しなかったこと自体は、何ら非難されるべき事柄ではなく、これを理由として不利益な処遇を受けるべきものではない(前記(二)参照)。
(2) アプリケーションレポートについて
原告は、同年三月一七日からアプリケーションレポートを提出するようになったが、アプリケーションレポートは、従来から、実験の実施後遅滞なく提出すべきものとされていたのに、実際は、上司から催促されてからまとめて提出したり、実験を実施しても提出を怠ったものが相当数あるなど、アプリケーションレポートの提出状況には、依然として極めて不十分なものがあった。
(3) 作業予定の打ち合わせについて
田嶋部長は、同日以降、毎朝原告と当日の作業の打ち合わせをし、その都度打ち合わせメモを作成するようになったが、原告は、その日の作業として指示されたものが質的・量的に見てそれほど手数のかかるものではなかったにもかかわらず、打ち合わせに従って仕事を消化することを怠ることが少なくなかった。
(4) ペンディングリストについて
田嶋部長は、原告に効率的な業務処理を行わせるため、ペンディングリストの作成を命じたが、原告が提出したペンディングリストは、どの作業が終わってどの作業が終わっていないのかが明らかでない上、新しい作業が記入されていなかったりすることが多かった。このため、田嶋部長が、たびたび原告に対し、ペンディングリストをアップデートにするよう指示したが、原告は右指示に従わなかった。
(5) 週報について
原告は、本件誓約書で週報の提出を誓約してからは、これを提出するようになったが、その記載内容は、おざなりで不完全なものであった。
(6) 整理整頓について
原告は、本件誓約書の提出後も、上司から、実験室の整理整頓をするよう繰り返して指示されていたのに、これをほとんど実行せず、そのため、実験室内は、相変わらず乱雑な状態のままであった。
(7) 事務上の書類提出について
原告は、被告から提出を求められた家族調書を提出期限から一か月以上経過しても提出しないなど、被告からの事務上の書類提出の指示についても、指示どおりの期限内に提出することを怠った。
(8) ジョイントデザインについて
原告は、本件誓約書の提出後も、ジョイントデザインの提出の事前、事後に上司のチェックを受けるという従来からの指示に従っていなかった。
(9) 欠勤について
原告は、同年八月八日から一一日までの期間、海外旅行をする予定を立てたが、年次有給休暇が残っていたのに、その請求をすることなく、同年六月一日付けで直属の上司となった白田に対して、欠勤とする意思であることを伝えた。このことを知った小市部長が原告に対して年次有給休暇と欠勤との違いを説明し、年次有給休暇を請求するように促したにもかかわらず、原告はこれに一切応じようとはせず、結局、右期間につき欠勤とすることを強行した。原告は、年次有給休暇の請求をせずに欠勤の措置をとったのは、田嶋部長から年次有給休暇の取得を妨害ないし拒否されたからである旨主張するが、たとい田嶋部長にそのように受け取られるような言動があったとしても、同年八月八日から一一日までの期間については、被告総務部長として従業員の出退勤管理の責任者の地位にある小市部長が年次有給休暇を請求するように促したのであるから、欠勤の措置をとらなければならない必然性はないものというべく、それにもかかわらず、あえて欠勤の措置をとった原告の行為は、「正当な理由なくして届出を怠ったときは、無断欠勤として取扱う」と定める被告就業規則二一条一項後段の規定にいう「無断欠勤」として取り扱われてやむを得ないものということができる。
(10) 反省、向上の態度について
原告は、社内の多数の同僚に対し、公然と「会社が何を言おうと、自分を変えてまで会社や上司に気に入ってもらおうという気は全然ない」、「自分は弁護士に知っている人がいるから、何でも簡単に裁判に持ち込める。前の会社を辞めたときも、知っている人に頼んで退職時のトラブルを裁判に持ち込んだ」、「だから、自分は会社の言うことを聞かないし、自分がいかに不良社員と言われようが、決して自分から会社を辞めることはしない」などと言っていた。
(四) 証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、被告は、原告の勤務態度には改善努力が認められず、被告にとって容認可能な範囲の限界を超え、とりわけ、同年八月八日から一一日までの欠勤は容赦できない行為である旨の判断の下に、同月三一日、三〇日間の予告期間を置いて同年九月三〇日付けで解雇する旨の本件解雇をしたことが認められる。
3 以上の事実によれば、原告は、システムエンジニアとしての技術・能力を備えた技術者として被告に雇用されたのに、システムエンジニアとしての技術・能力はもとより、アプリケーションエンジニアとしての技術・能力も不足し、かつ、原告の技術的水準を向上させるべく、被告において、現場指導、教育訓練等を続けたが、原告の意欲が乏しかったため、その成果が上がらなかったこと、一方、出勤状況を初めとする日常の勤務成績・態度は、組織の一員としての自覚を欠いた不良のもので、改善努力を求めても改まらなかったことを認めることができるから、本件解雇は、少なくとも、被告就業規則一一条一項二号に該当するものということができる。
二 原告は、本件解雇は手続的にも違法なものである旨主張するが、本件解雇に至る経緯に照らすと、被告は、種々の方法を通じて原告の申述を聞いたほか、観察期間を設けて勤務態度等の改善努力の有無を観察する措置をとった上で(なお、本件誓約書には、平成六年四月一五日及び同年五月一六日にレビューを実施する旨の記載があるが、レビューは被告において右改善状況を判定するためのものであって、原告本人を含めたレビューの実施を義務づけたものではないと解される)、本件解雇に及んだことが認められるから、原告の右主張は採用することができない。
三 以上の次第であるから、本件解雇は、三〇日の予告期間の経過後である平成六年九月三〇日に効力を生じたものというべきであって(被告就業規則一一条二項本文参照)、これが違法無効であることを前提とする原告の請求は、その余の点について検討するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 福岡右武 裁判官 飯島健太郎 裁判官 西理香)
別紙(略)